昭和42年7月6日 朝の御理解
                                


 どんなに素晴らしいよい脚本でも、それを演ずる俳優が、演技のまずい俳優だったら、もうその良い脚本も、いわゆる、どんなに素晴らしいそのお芝居でもおしまい、ダメです。
筋はさほどでもなくても、まあそれを、いわゆる、演技をやる役者、いわゆる俳優が名人といわれるような人でありますと、そのお芝居も生きてくる。               _ その名作といわれるお芝居はもういっぺんでは(                )それを役者何代の何々という名人がやって、初めてその脚本が(          )訳なんです。
信心も同じ事、やはり、どんなに素晴らしい有り難い神様だというても、それを現すところの信者信奉者がつまらなかったら、もうほんとに、いうなら、道の信心、世界の明教といわれる金光教も台無しなんです。ね、私それをつくづく感じたんですけれども、さっき壮年部会が本当に熱心にちょうど一時あの大風の中に皆さん集まれましてから、一時ちょっと過ぎまでぐらいだったでしたでしょう、時間見ませんでしたけれど、もうおそらく一時だとこう思います。
 あるいつも十二時ぐらいまですけど、十二時ぐらいから本当の信心話を頂きたいと思うんですが、つい時間を立つのを忘れて話し込んでから、それで中座してから休もうと思うて行きましたらテレビ室のほうに赤々と電気がついてるですもん。そしたら、子供達が、いわゆる、深夜劇場を見てるんです。ね、皆さんも御承知でしょうが、新派のお芝居という意味の名作と言われている・・?という・・?、それこそ、見るものの、涙を絞るというお芝居なんです。
 ところがですね、私共はお芝居の映画を見たんですけれども、とにかくやってる役者がまずい、もうですから、もう見とっておかしい、ね、それを見て感じたんですね。おなが?といや、新派のお家芸といわれるぐらいに有名なお芝居なんですね。しかも、その、出し物の(       )という、その、当時大衆に大うけに受けたお芝居を、なら十代の俳優がやっておる訳なんですけれども、まあ、それこそ、素人の私でも見てもおかしいと見とられんという感じ、・・・?、そんな感じなんですね。
例えばそれを私が今朝からも皆さんに聞いてもらってるような事を感じたんです。これはいかにどんなに素晴らしいお道の信人だというても、どんなに合楽の信心が素晴らしいというても、朝晩の御理解がどんなに有り難いというても、それを聞き、頂きする信奉者、いうなら、みなさんがです、それの現しどころ、現し方というものがまずかったらダメなんです、同じなんです。その名優といわれた人はです、銘銘の受け持つ、例えば役というものをね、まず性根をつかむ事が一番と言われます、その性根をつかめなければ演技が出来ないといわれておるようにですね、やはり、まず性根をつかむ事が大事だと思うんですね。これは私は私の、いや、私はそうでなかなければならないと確信するんですけれども、御大祭でもそうです、春秋の御大祭を仕えてまいりました、ね、春は天地の親神様への神恩報謝のお祭り、ね、秋は教祖大祭、もう、おんなじ大祭でありましても性根が違う、つかみどころ、いわゆる、焦点とするところが違う、八月十六日は夏の御大祭、夕べもその事をまあ話した事でございますけれども、夏の御大祭というのは、ただ夏夏秋冬という、その、夏に御大祭を仕えるるだけではなくて、夏は夏の大祭の性根がある、この夏の大祭はもう九州だけのものといわれております。小倉の初代が、ね、大変な御比礼とともに金光教の信心も世の中に知れ渡った、いうなら、御本部参拝をする、御本部参拝をしてびっくりする事、それを当時二度びっくりというておられる、金光様のご信心をあらたかなおかげに第一にびっくりする、次には御本社にお参りをさせて頂いて、余りにもご本社が、いわゆる御本部のお広前がお粗末である事にびっくりするのである、二度びっくりといわれておられる、そこで、桂先生、それこそ、一代、その、悲願とでも申しましょうか、ね、願いを立てられたわけです。ね、当時のお伝記の中にその当時のお話がいろいろ載っております。ね、もう死ぬか生きるかの体感の中に木曽山中に入られまして、当時の久留米の初代の石橋先生、当時の甘木の初代の安武先生、それこそ、当時の日本一といわれるような先生方ばかりがです。いわゆる、桂先生の指揮のもとに木曽山中に入られて、そして、一生懸命の伐採をなされて、伐採の指揮をなされました。
 (           ) 一つ一つ桂先生が御記念をなさる、そして、あろうていく?、これを切れというて、その、御真意のままに伐採をされたとことでございますね。木曽山中の雪の深い中に、とうとうご自分は倒れられまして、大病、というような中に、そういう事がございましたが、そういう例えば御本部の御広間御造営、それは当時黒やけになりましたけれども、これは年数がたちましたら、国宝になるというほどの立派なものでした。私どもかつてそれを覚えております、現在残っておる正面の、あの、正面の大門と、それからお手洗いのだけが当時のまあ面影を残しておるだけ、あと炎上になりました。ね、そういう風に素晴らしい事がなされるたんびんですね、桂先生が、神様に願いを立てられた。ね、その願いの文がご本部に参りますと、御大祭の時なんかにはちょういとこう、古い文章が陳列されておる、観覧が出来るごつなっております。中に、それこそ、字も大した上手でもなかなければです、文がいいという訳ではないけれども、もう赤裸々なんです、ね、それで自分の心の中をねじるような一生懸命の祈り願いというものがその文章の中に盛り込まれてあります。ね、どうぞ神様、鬘待つ兵一生一代の台祈願、彼岸をここにお願い申し上げます、ためには、例えば飛ぶ取りでも翼なしで飛べません、どんなに大きな願いを立てましても、ね、まず、あるものが泣かなければ御用が出来ません、つきましては、九州全土におきまして、どうぞ、五穀豊穣はゆうにさらなり、ね、万事の上にそれに大繁盛の大みかげを頂かせて下さいませ。何時何時までとは申しません。このご造営ご成就に相成りますまで、何年間、むこう何年間、私それ忘れましたけれど、向こう何年間の間九州の全部の上に繁盛の上に、(        )の上に、ね、農作物の上に、どうぞ、大繁盛大収穫の大御影を頂かせてくだされというその熱願を立てられたわけなんです。で、その熱願をその込められた御大祭が夏の御大祭でございます。ですからもうおのずからお祭りの性というものが違う、私は思うんです、ね夏の御大祭なんかだからもうそれこそ、例えば今朝のこれだけたくさんお参りしておるんですから、大払いをみんなが一生懸命上げたらここのお広前が割れるぐらいな大体は大払いの声が響いてもらわな、あれ今朝お参りがあっておるんかな、と思うぐらいに御祈念中です。皆さんは、いわゆる、蚊の鳴くような声で、大払いに取り組む、ね、もう本当によその教会にきてございませ、もうそれこそ、もう女の方達でも、それこそ、こうして、お広前に・・?をつけるようにしてあげとりますよ、御祈念のときだけは。
 一生懸命ちゃそんなもんなんです、ね、勿論これも夏の御大祭は、そういう、それこそ、・・?と汗の流れる中にですね、8月16日ですから、厚い盛りですから、ね、もう、それこそ、汗びっしょりなったというような、私は御大祭を仕えたい、ね、同時に勿論お礼もございましょう、お詫びもございましょうけれども、結局中心になるのはもう願いなのだ、祈り、ね、ですから、8月のなら御大祭は御大祭にですね、今申しましますような性根がなからにゃいかん、頼むどうぞ私のほうの商売大繁盛させてください(            )、言うだけの祈願じゃいけないという事は自ずと分かるでしょう、ね、お役に立ちたい、ね、どうでもお役に立ちたい、そのお役に立ちたいためのすべてのことの大繁盛という事につながっておらなければ、その性根を取り逃がすわけなんだ。
ね、まだ、今日は本当に(     )まあ、八月の御大祭の事はもういっぺん、企画委員会がある、総代会があってから、まあ、いろいろ具体的なことが出来ましょうけれども、ね、そういうように、例えばなら夏の大祭なら夏の大祭の性根というものをまず、それ中心である私がそれをし、その中心である皆さんが性根をつかんでからの御大祭にならなければいけないいという事なんです。
ね、例えばこの頃の大払い式もそうでしょうが、普通にお祭りとはもう自ずと・?まったものが感じられた、ね、大払い式なら大払い式の性根がある。そこで、日日お参りになって同じ事が私はいえれると思うのです。昨日も今日も同じこつ、夜の御祈念も朝の御祈念も同じ事、どうでしょうか皆さん、その日その日の御祈念の性根つかんで帰っていられるでしょうか。ね、よし今日はこれでいくぞというものをです、御理解の中に御祈念中に自分の心の中になんか頂いたものをです、ね、今日一日の性根というものをです、ね、御理解の中から今日はこれで今日一日を支えていくようなおかげを頂いていけれるものを頂くというその心がまい、姿勢なんです、御祈念のときに私は必要だと思うんです。 いやだったら御理解だけ頂いとっちゃ分からん、御祈念のときその、やはり所を願わせてもらう、ご理解を頂くことはさらに今日の御理解の頂どころはここだという、その今日の御理解の性根をつかむ、ね、それが、一日の上に私は行じぬかれていくというようなおかげになってこなければ行けないとおもう。
ね、ですから、自ずとその日の、いわゆる、日に日に更な信心というものがなされていかれるはずなのである、でしょうがね。ただ参りよります、毎日もう十何べんこうして日参させてもらいよりますというだけじゃいかんです。日日の、私はそういうような生き方がです、ね、朝の御理解なら朝の御理解の中からそれをつかんでいく、いうことであってこそですね、私はお芝居で言うならば、名優と言われるのじゃなかろうか。
朝なら朝の御理解を本当に頂いて、それを、私は日日生活に現していくところに、神様を身近に感じること、生き生きとしたおかげを頂いていく事が現していく事ができる。
ね、こんなに素晴らしい、言うなら、筋書き、脚本でありましてもです、ね、いわゆる、俳優が演技がまずかったら、もう、その脚本そのものが台無しになります。どんなに有り難い金光今日の信心だというても、合楽に行かなければのここに御理解は頂かれんという例えばそういう有り難い御理解をなら日日頂いてもです、ね、いわゆる、性根を頂いて、つかんで、それを生かしていく、神様のおかげを、生きた神様を自分の周辺にいよいよ現していくだけのおかげをいただかせてもろうて、私は金光教の信心が現されていき、合楽の信心も現していく事ができる。なるほど、あれだけの信心が頂かれるから、あれだけのおかげを受けられるという事になると思うんです。

夕べも壮年会で私その事を感じておったことを皆さんに聞いてもらったんですけれども、昨日、一昨日でしたか、菊栄会の古賀さんが、もう、(                    )、その中に研修に昨日一日有り難い一日でございましたというて、その、本社の方の社長の娘むこに当たられる方が、熊本のなんか偉いなんかしておられるらしいが、時々(      )、なんか会合に一緒に出られたあとで、古賀さん実はあなたにお願いがあるんですけど、何でしょうか、と言うてからできれば時間をしばらく頂きたい、はぁー結構ですよ、そいじゃお酒でも飲みながらというてそのレストランに案内があった。そこでならどういうことをいうかと思うたら、その、古賀さんの、あなたは何様を信仰しておるかといわれる、実は私はこの金光教の信心で分からんだけれど、合楽という教会にお世話になっておるとこういっておる。実はもう先日から社長が来てからもうそれを私にいわれるんですよ、と言われいわゆる、お父さんですね、娘の、嫁さんのお父さん。
 先日、あちらのアパートがでけた時にお見舞いに、お祝いに社長さんがみえた。ちょうど御祈念中であった、古賀さんたちが、親子三人が一生懸命ご信心なさって御祈念があっておる時であった。ね、だから、その、ちょっと入り込むことも出来ないといったような中にその御祈念が澄むまで待っておった。御祈念が終わったら古賀さんがおもむろにその信心の話をされる、家内に子供達に、子供達子供、一人しかおりませんから、特にその陽一君というが、陽一君に信心のありがたい事をほんとこの話を説かれておられた。それをこちらに聞いておった社長がもういよいよ敬服した。自分のところに(       )本当に幸せを感じたというのだと、だから、昨日はそういうことにその古賀君が一人信心をしよるとというところの、そのもうかえすがえすも本社へ帰られる時に、いうて社長が帰られたから、ということなんです。
 どうでしょうか、まあ、古賀さんがここにおかげを頂くようになって2,3年でしょうか、ね、菊栄会に入ってからまだ一年のぐらいでしょうか、ね、まあ、皆さんの信心にお道の信心が進んでおるとは思いません。まだ、信心は若いですけれども、けれども、確かにそれを現していきよるということ、もう一つ今日はありがたいことがありました、
そんなわけで帰って、それから、こちらにはお道引きをしよう、またなんならば熊本の教会にもお参りをするようにというて話をして、帰らせていただきましたら、家内がこういう事を申します。もう大体あちらの奥さんというのは、私は正直でいきゃ、神様に拝まんでもよかというのが奥さんの流儀であった。所がこの頃からあちらのお祭りを致しますのに、いわゆる、信心友達であるところの菊栄会の連中が一時間前から言って、御用させてもらった。そして、そのグループでのお祭りがあっておるのを見て、もうほとほと感心したんですね嫁さんが。菊栄会、菊栄会ちどげんなん信心しよるちゃろうかと、まあ、いうなら、まあたかをくとったんですね。所が、その見えてから一人一人が、その、もうほんと御用を手伝うわけなんですよね、そしてその、お祭りを済んでもその雰囲気というかですね、もう本当に、本当の友達というのはこいうもんだろうか、しかも信心がつながって、もうなんという素晴らしい雰囲気だろうかというて、親戚の人たちが来とる人たちが感心したち、そりゃまた菊栄会の者、その、すごいじゃったとこう思うんです、勿論菊栄会ばかりですから。もう、全員来ておりました。ね、とても人の悪口どんじゃなか、もうほんに信心ちゃあーでかなりゃあるまいと思うような雰囲気がそのお祭り全部の中にあったわけです。もうそげんなると理屈じゃないですね、ね。例えばそういう意味合いで理屈をいうておった、今日はもうおじきさえすればよかと、もう私は拝まんでんいい・・・?思わなかった。ところがそう言いよった家内がですね、古賀さんが御祈念をすると、また夜の御祈念をはじめた、すると子供が家内が後ろから一緒についてきて御祈念をするようになりましたというのである、その家内が、今日はお父さん本当にありがたい事があった、ね、入居者ですね、そのアパートに入っておる人たちが皆その、食料品だとか、米屋とか、いろんなそのあれをするのに、どこから買うていいやら分からん、それで、自分で電話をかけてみんなそのどこどこからとりなさいというて自分(・・・・?   )電話かけてやった。それで、そこに見えたお米やさんなんかでしょう、御礼にちいうてからたくさん、あの、ジュースを古賀さんところにもってきたちお礼に、ね、それでもう、神様にお供えさせて頂いてから、あの、(          )家内が申します、もうそれを私どんはそれを聞かせていただいてお供えさせ、もううちではもう神様にお供えさせていただいたから、お下がりを皆さんに、自分かただけがもらうもんじゃない、皆さんに喜んでもらおうというて、その見えた方達に分配したこういう、もうそれを、私それを聞かせていただいてもう今日はなんという有り難いずくめの一日じゃったじゃろうかと思いましたというのです。(      )こうしてですね、合楽の信心が現されて行きよる訳なんです。ね。
 夕べちょうど御祈念前に電話がかかってまいりました、麻生さんから、私が聞いたところでは、久富先生から、又聞きですから、よく分からなかったんですけれども、奥さんと子供がお風呂に入っておる、もう(                 )、本当に神様に御礼を申し上げてくださいというお届けであった。。
 昨日、一昨日と二日間親子三人で参ってきております。もうそれこそ、二日間ギリギリのお知らせを頂いております、お夢の中に、それで、親子三人が二日続けてお参りされております。そしたら夕べ壮年会の半ばに)、もうだから12時ぐらいなったでしょう、やってきましたですもん、改めて御礼に出てきてるわけなんです。
ね、本当にその例えば、神様が教えてくださるという事にいかにに忠実でなかなければいけないかということがこれだけでも分かるでしょうが、ね、例えどういう大難がかかってくるような事であっても、ね、大難かかかってくるぞという前知らせを頂いておるのでございますから、ね、それを、本当に真剣にですね、受けて立たせていただこうという気になって神様におすがりしに行ったら、ね、大難がかかってくるだけじゃないです、こういう大難がかかってくるようになっておるから、しっかり信心せいよと仰る事なのです。助けてやろうという神様のご真意なのですから、こちらがその気になって愛けりゃ(        )分かる、もうそれこそ、それは家内じゃなかって、自分だと、家内はあがって、それから子供を自分最後抱いて、上がったのと落ちたのが一緒である、もう親子ともに下敷きにならなければならないようなところをですね、おかげをこうむったとこういうのである。
 椛目の場合ですね、ほんとにどういう大難がかかってくるけん、ならどう言ういろんな事柄の場合ですね、確かに前知らせがあってるですよ、私は誰の場合でもそれを感じますよ。あの最近きよる田代さん、久保山先生がですね、それから、第一番目は上竜さんでした、ね、そのあとは、もうそれこそ、いうなら、あの神戸の場合はこうこうだからといわれておると、いうならば、まあ、いうなら親ばかにしたといわなければ仕方がないです、ね、神様信用させて頂いて有り難いと思うのは、ね、例えば、おかげが頂けれるという事の中にです、例えばそんな大難が無難の中におかげを受けられるという信心なんです、ね、そう言う信心をです、お互い現していくために、そのときのときのお参りの中にも一つの性根がなからなけりゃいけん。
今日のお参りは、また今日のお参りの今日一日の私の息調子というものがです、朝の御理解を頂いてから、ここに定まるために今日の御理解の性根を皆さんが頂いて帰らなければいけんと思うんですね。
                      どうぞ。